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2010年11月 私にとっての親鸞聖人 No,5


 先の号では題材にそぐわない「大和の教団史」のようなものを書きました。しかし先人たちの行跡を知るうえで、記憶に残すのもこれまた大切ではないかと思います。

 いよいよ明年は、宗祖親鸞聖人の七百五十回ご遠忌であります。二回もご遠忌に遇わせていただく身の光栄をうれしく思う反面、五十年前のご遠忌の時とつい比較してしまいます。

 今も危機感はみな持っているのですが、現代のは、運営が成り立たなくなるといった組織への危機。以前は『真宗門徒一人もなし』との自己批判を通して我が身一人のうえの求道心という危機感にたっていました。問題の質が違うものですから研修会一つを取り上げましても全然違うものがあります。昭和三十年代は、「声明講習」といった学習会はあったのでしょうが、私にはあまり関心もなく低調であったように思います。それに比べ本山での開催(教研主催)されます、「伝導研修会」は厳しいものがありました。年二回、十日間缶詰で行われました。今の同朋会館の前身『和敬堂』という木造二階建ての粗末な建物で行われていました。

 講義は午前中だけ「観無量寿経序文」がテキストでした。参加者(十五名〜二十名?)全員にそれぞれテキストの問題点を担当して、午後は発表準備のための個人学習、夜が発表時間であったかと記憶しています。講師・補導からの辛辣な指導、参加者同士が攻守に別れて質問し、返答するといった学習方法でありました。みんなヘトヘトで泣きだすものが出たり、私のようなものは感情的になりケンカ腰で対応した思い出があります。恐ろしい十日間でありましたが、この「伝導研修会」への参加がその後の佛法を学ぶ姿勢を培っていただきました。

 『世のなか安穏なれ、佛法ひろまれ』と、宗祖のお手紙にありますが、何をいわんとされているのでしょう。念佛者は世間的に善男子、善女人になれ、とおっしゃられているのでしょうか?ある先生は、佛さまの『大悲』とは『大非』と教えて下さいました。『非』とは、あらず、背くことですから、佛さまに背き、道理に背く自分の正体をえぐりだして見せていただくのだと教えてくださいました。

 念佛者は大悲にであい、その大悲に背きつづける自分に出会うでしょう。
 聖人はご和賛に(浄土和賛)

 善知識にあうことも
   おしうることもまたかたし
 よくきくこともかたければ
   信ずることもなおかたし

と賛嘆されています。
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