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2010年3月 私にとっての親鸞聖人 No,1


 昨年の暮れから今年の正月にかけて親鸞聖人を主題にした小説が発表されました。ひとつは、津本陽氏の『無量の光・親鸞聖人の生涯』上下二巻であり、もう一つは、五木寛之氏の『親鸞』上下二巻であります。津本陽氏には以前読売新聞に連載された、『弥陀の橋は』という小説もあります。

 いずれも小説でありますから作者の想像たくましくして聖人像を語られます。ですから、歴史事実であったかどうかは別として、私は、宗祖『親鸞』という人間像に親しく接しることができ、あらためて考えさせられました。両氏とも現在の歴史学会の定説を踏まえ、新しい学説をも駆使して筆をすすめられており、頭の下がるおもいであります。

 宗祖親鸞聖人の七百五十回ご遠忌も目睫に迫り、聖人の日常のお姿はどんなであったろうか、お二人の小説を参向にさせて頂きながら、私も想像をめぐらせて、『私にとっての親鸞聖人』を語らせて頂きます。

 私の子供の頃には、『大師は弘法に取られご開山は親鸞に取られ』と、うたわれていますように親鸞と呼び捨てにするようなことは滅多にありませんでした。ご門徒の方達もご開山様と言い習わすのが普通で、報恩講でのおときのときなども『ご開山様のご苦労を忍んでいただきます』と、合掌していただいたものです。ですから、かなり長じるまで、ご開山と、見真大師、親鸞聖人は別人のように思っていました。昨今は、『親鸞』と呼び捨て?になさる方が多いようですが、私には、何か違和感を覚えます。

出生関係図
出生関係図
 聖人は、自らの出生については何も語られていませんし、両親のことについても書かれていません。どこで誰の子として生まれたのか明らかでありません。1262年(弘長二年)に九十歳で亡くなられましたので、逆算して1173年(承安三年)にお生まれになりました。

 現在有力な説として、親鸞聖人の曾孫さんが著された『御伝鈔・ごでんしょう』という本に、親鸞聖人の出生の記述があり、現在はその話しをもとに伝承されています。

 聖人は藤原氏の一門・日野家の生まれと書かれています。父は日野有範(ひのありのり)母は不明ですが、吉光御前(きっこう)という女性だったという説もあります。現在の京都市伏見区日野の里・法界寺の近くでお生まれになったようです。幼名は『若松丸』であったと伝えられています。
(輪 番)
(関係図)幻冬舎刊「親鸞」より
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